香港デモで起こっている事 香港の自由さを取り戻す事件 まとめ


香港デモで起こっている事 香港の自由さを取り戻す事件 香港映画編

(ライターFT)

香港は特別な場所 

 思い出して欲しいのは、香港が他の中国の都市と大きく違う場所だということだ。これを理解するには、歴史を振り返る必要がある。
 香港はかつて、150年以上にわたってイギリスの植民地だった。香港島は1842年のアヘン戦争後にイギリス領となり、その後、イギリスは当時の清朝政府から「新界」と呼ばれる残りの地域を99年間租借した。

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 自分たちを中国人ではなく香港人と思っている。法的にも文化的にも異なるというのが、香港に住む人たちの主張になる。

 1997年に中国に返還され、何が変わったかというと、香港映画が勢いをなくした。ブルースリーやジャッキーチェンという世界的スターが出て以来、あれほどのスターは出ていない。

 香港映画は、香港の経済における重要な輸出産業でもある。

 私たち世代は香港映画の素晴らしさを知っている。

 物凄い勢いがあった。



 ストーリー的な事はあまり気にしないが、とにかく勢いがあって、ハチャメチャなのである。出てくる老人の顔には大きなホクロがあり、そこから毛が生えていたり、香港映画の笑いのツボはなんとも言えない。



 このジャッキーチェン主演の「プロジェクトA」ですが、かなり面白い。



 これをカラオケで熱唱すれば、45歳以上には大受け間違いなしです。



 巨悪がはびこる20世紀初頭の香港。ドラゴンが所属する海軍隊は、非道の限りを尽くす海賊の撃滅を命じられるも、逆に戦艦を爆破され、ライバルのジャガー率いる陸軍部隊に合併されてしまう。初めはいがみ合ってばかりの両者だったが、やがて海賊退治を通して友情が芽生え、ちゃっかり屋の盗賊フェイも加わって、海賊のアジトへ乗り込み、捨て身の征伐作戦”A計画”を決行する。

 とにかく面白い映画です。

 香港が中国に返還されてから、この勢いが衰えたのは間違いありません。



 チョイ役で必ずこんなキャラが一人でてきます。



 そして日本人はこんなキャラ設定で分かりやすいですね。

 ば、バカにすんなっ!

 香港が中国に返還後、香港シネマの名作も多く出てきています。

 でも1980年台のハチャメチャさは影を潜めています。

 香港人たちのフラストレーションが爆発しかけているのではないでしょうか。

 あの頃のような香港映画、もう一度見たいですね。


香港デモで起こっている事 香港の自由さを取り戻す事件 九龍半島の変遷

(ライターFT)

アヘン戦争勃発前 

 香港の歴史というと、アヘン戦争から語られることが多いが、当然のことながら、それ以前にも人々の営みはあった。ランタオ島やラマ島からは新石器時代の遺跡が出土しており、この頃からこの地に人類が住んでいたと推定される。
 秦代には始皇帝が珠江下流域を支配下に置き、香港は南海郡番禺県の管轄となった。その後、南越国が領有したが、南越国は紀元前111年に漢の武帝に滅ぼされ、以降、香港も漢の支配下に入った。唐代になると広州が南海貿易の交易港として発展。それにともなって新界に兵士の駐屯地として屯門軍鎮が設置された。宋の時代には、北方民族の南下にともない、漢民族も北部から南部へと移動し、香港にも流入した。これが香港の客家の起源で、新界原居民といわれる。
 清代になると、前代の明の復興を画策する抵抗勢力が中国沿岸を荒らしまわった。清ではそれに対抗するために、福建や広東の住民を内地へ強制移住させる。香港があった新安県は撤廃され、一時的に荒廃した。7年後に撤廃が解除されたとき、清は広東省北部や福建省に暮らしていた客家を開拓民として香港へ移住させた。

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 有名な九龍のスラム街ですが今はもうないらしいです。



 現在は再開発され、昔のイメージとはかけ離れた街並みになっています。



 現在は香港随一のアーバンエリアと発展を続けています。

 イギリス領だった頃も、九龍城砦の領有権は中国側が保持したまま、このような法的位置づけの曖昧さから、九龍城砦は無法地帯と化していたそうです。



 しかし普通の人も多くすんでいたらしく、無法地帯だったという側面もあったそうですが、住民はそれなりに暮らしていたそうです。無政府状態だったために、九龍城砦ではゴミの収集がなかったり、1平方kmあたりの人口密集度は、香港全体が6700人、繁華街の旺角(モンコック)でも13万人ですが、九龍城砦はこれを大きく上回る192万人という人口過密都市となっていました。

 賃料が安いという理由で、多くの人が集まってきていました。

 元々は、九龍城砦は、海賊などから貿易船などの安全を守るための軍事要塞として作られたそうで、1898年にはイギリスによる領地の租借が始まりましたが、九龍城砦は特例的に清国政府の領地として残され、こうした無政府状態が長期に渡り続きました。

 基本的にゴミは上の階から下の階に落としていき、かさばるゴミは屋上に放置していました。
そのため下層は常に悪臭が立ち込めていたそうです。病気にかかれば無免許の医者が活躍、衛生的には最悪の状態と言えます。

 安全を守る保証は何もないけど、九龍に住む人々の得体の知れないパワーが閉じ込められている空間だったそうです。



 現在ではこんな風に変化を遂げています。


香港デモで起こっている事 香港の自由さを取り戻す事件 いつまでこの混乱は続くのか

(ライターFT)

いまやデモは常態化? 

 中国の司法制度に対する不信感だ。
 小さな店がひしめき、道に迷い込むと露店や市場などが突如現れるのが九竜半島側。例えるならば、下町か。多くの観光客が買い物や散策を楽しむエリアでもある。
 デモは、当初は政府機関のある香港島側に限定されていたが、今では、九竜側にも広がっている。

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 事の発端は「逃亡犯条例」の施行をめぐっての大規模なデモ。中国政府に対しての抗議行動だ。成立すれば、当局は特定の犯罪の容疑者を香港から中国本土に送還できるようになる。これを阻止するための抗議デモとなるのだが、香港の人たちは香港にいる全ての人が中国本土の司法制度の対象となり、恣意(しい)的な拘束や拷問にさらされかねないという中国に対する批判的なデモになる。



 これは香港では民意が反映されにくい間接選挙もどきの制度が一つの原因になっている。香港の行政長官は1200人の委員で構成される選挙委員会が選出する。まず選挙委員を選び、委員らによる選挙で行政長官を決めるという二段構えになっている。

 選挙委員を選ぶのは一般市民ではなく、産業界の代表や立法会議員、区議会議員、全国人民代表大会(全人代、中国の国会に相当)香港代表、中国人民政治協商会議(政協)香港地区委員などの限られた人々が選ぶのである。

 民意が反映されていない選挙制度といえる。選挙自体が出来レースだとも言われている。中国政府が決めた行政長官が選ばれるような選挙制度なのだ。

 こうした中国の思惑に対し、香港の人達は、若者を中心にNoを突き付けているのだ。

 中国が悪いのではなく、中国共産党が問題なのだ。漢民族として香港に住む人達は中国共産党を信じていないのだ。

 現在の中国共産党は、「習近平思想」を指針として党規約に盛り込むことが全会一致で承認され、習近平の権力はさらに強化され、一党独裁ではなく、習近平の独裁体制が始まろうとしている。



 学校の生徒たち、大学生、国営工場の職員たちは9000万人の党員たちと同様に新時代の中国の特色ある社会主義に関する「習近平思想」を学ばなくてはならない。

 非常に怖い思想です。

 香港人はウイグル人が迫害されている事などを知っているのです。

 中国の拷問や虐待は現在でも続いています。香港人たちが立ち上がったのは、こうした中国共産党のやり方を知っているからです。

 我々日本人は、香港のデモをどう考えていけば良いのか、じっくりと感がないとならないですね。
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