1970年~1980年の20年間のまとめ



(ライターFT)

1970年に公開されたヒットしたモノ


 19670年代、大阪万博が開催され、72年はミュンヘンオリンピックが開催され、オイルショック、ブルースリーが死去、アメリカではウォーターゲート事件が起こり、75年にはベトナム戦争が終結し、モントリオールオリンピックが開催され、アップルコンピューターが設立され、中東ではイラン革命が起こり、マザーテレサがノーベル平和賞を受賞したりと激動の10年でした。



 1970年の興行収入No1の邦画は「戦争と人間 第一部 運命の序曲」という史実を基にした歴史大作になります。史実を基にしているだけで、完全に内容はフィクションです。

 当時はベトナム戦争もあり、反戦映画が非常に流行った時代でもあります。共産党を正義の党として描いていたり、徐在林などの在満朝鮮人共産主義者の暴動を、日本の帝国主義に対する正義の闘争として描いていたり、かなりの反戦映画で、左翼的な物語。

【解説】
「人間の条件 第1・2部」「人間の条件 第3・4部」「人間の条件 完結篇」の原作者、五味川純平が現在なお執筆中の同名大河小説の映画化で、第二次大戦突入期の満州を舞台にくりひろげられる複雑多岐な人間群像ドラマ。

【あらすじ】
昭和三年。新興財閥伍代家のサロンでは、当主伍代由介の長男英介の渡米歓送会が開かれていた。
その場には由介の実弟喬介、由介の長女由紀子、次男俊介、伍代家の女中頭で由介の妾であるお滝、部下の矢次など一族身内の者のほかに、金融家市来善兵衛、陸軍参謀本部の佐川少佐、その部下の柘植進太郎中尉など常連客が招かれていた。
話題は期せずして、張作霖打倒のため蒋介石が北伐をはじめた満州の状勢に集まった。


戦争と人間 第一部 運命の序曲(映画)/年代流行より抜粋

 ハリウットでは「新・猿の惑星」が興行収入No1になり、ミュージカル映画である「サウンド・オブ・ミュージック」という名作が生まれました。

 「猿の惑星」では、人間の愚かさを描き、人間の奢りに対して警鐘を鳴らす秀作でした。「サウンド・オブ・ミュージック」は恋愛・ファミリー、そこに隠れた戦争というテーマを軽快に描き、当時、子供ながらに感動した記憶があります。



 70年代に流行したヒットソングは、皆川おさむの「黒猫のタンゴ」という曲です。40代以上は聞いたことがあると思いますが、子供が歌っている曲です。

 すでにドリフターズも 人気で、ドリフのズンドコ節もヒットしていました。



 海外ではビートルズの「レット・イット・ビー」がヒット、すでにビートルズの人気は世界的な人気で、不動の地位を獲得していました。

 70年代に入ると、ハードロックという新しいジャンルも登場し、ディープ・パープルや75年にはクィーンもヒットし、音楽業界は複雑化してゆきます。

日本では76年ごろ、「およげ!たいやきくん」やユーミンの「あの日にかえりたい」というヒット曲が生まれています。

 アリスやゴダイゴなど、ニューミュージックと良ばれたジャンルも登場し、アイドルではピンクレディが大人気になった時代です。

 79年にはTBSで「3年B組金八先生」も始まり、中学生の妊娠や家出事件やリンチ事件をテーマに大人気となったドラマでした。

 ルパン3世もこの頃に放映開始されています。



 若者達の流行のヘアスタイルは、アイロンによる熱によるパーマ、パンチパーマが一世風靡、サーファーカットがヤンキー以外の人たちにも人気になります。



 ビーバップハイスクールという80年代に人気だったコミックの映画で登場していた人物も、パンチパーマがトレードマークだった、「立花商業高校」のNo.1である菊永淳一(通称:菊リン)は、2018年に51歳という若さで亡くなったそうです。

 70年代、経済でも活気があり、50年代から70年代前半にかけて高度経済成長と言われた時代です。

 いい時代だったとですね。

(ライターFT)

1980年に公開されたヒットしたモノ


1980年、黒澤明監督の「影武者」が興行収入1位を記録。カンヌ映画祭ではパルムドール賞を獲得する。戦国時代に小泥棒が武田信玄の影武者として生きる運命を背負わされた悲喜劇を描いた秀作です。



 勝新太郎が当初キャスティングされていましたが、突然の降板、勝が自分の演技を撮影するためのビデオカメラを東宝砧撮影所に持ち込み、自身の役作りの参考にしようとするつもりであったが、黒澤の許可を得ておらず、「演技は監督である自分が見ているので信用してほしい」と勝に反論、「それは解っているが、こちらはこちらでビデオを撮りたい」と再度頼むも、完璧主義の黒澤は撮影現場に自らの映画のカメラ以外の撮影機材を持ち込むことを許さず「撮影はこっちでやるから大丈夫だ」と一刀両断、こうしたことが原因で勝は降板した。

『影武者』から勝新が降板した理由

 黒沢監督の会心作、主演仲代達矢の演技も鬼気迫る演技で、結局、信玄役は勝新太郎より、仲代達矢で良かったのではないかと思える程、いい作品に仕上がっています。

 黒沢の感性を、これでもかという程に感じられる作品です。

 ハリウッドでは「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」が公開された年です。続編ですでに78年に前作が公開されています。

 70年代後半にスターウォーズが出ていたと考えれば、ジョージルーカスの凄さがよく分かりますね。SF映画の基本ラインを作ってしまったのですから。

 80年代に入ると、SEムービーの名作ラッシュとなります。

 スピルバーグの「E.T」をはじめ、リドリー・スコットの「ブレードランナー」、ジェームス・キャメロンの「ターミネーター」、85年にはロバート・ゼメキスの「バック・トゥ・ザ・フューチャー」と名作SF映画が満載でした。

 邦画では「影武者」や「復活の日」などの大作だけでなく、「ドラえもん」シリーズが興行収入の上位に食い込む検討を見せています。

 凄いのは80年代全般、現在まで「ドラえもん」は安定した興行収入だということです。

 日本の曲では、「ダンシング・オールナイト」もんた&ブラザーズがベスト1、2位は久保田早紀の「異邦人」、海援隊(武田鉄矢)の「贈る言葉」、85年頃にはチェッカーズの全盛期、中森明菜も大人気アイドル、ジャニーズでは光GENJIが大人気だった時代ですね。

 海外ではノーランズの「ダンシング・スター」、オリビア・ニュートン・ジョンの「ザナドゥ」、ベッド・ミドラー主演で主題歌もヒットした「ローズ」がヒットしていました。



 ヒロインのローズは、ジャニス・ジョプリンをモデルにしていると言われています。



 この頃の音楽シーン、特に海外は素敵なミュージシャン達が多く排出されました。

 マイケル・ジャクソンの「スリラー」も1982年にリリース、マイケル・ブームでした。

 『Thriller』は全米チャートで通算37週に渡って1位を記録、「ビリー・ジーン(Billie Jean)」、「今夜はビート・イット(Beat It)」、「スリラー(Thriller)」とミュージック・ビデオの概念を変える作品を次々に発表し、「史上最も売れたアルバム」と言われています。



 このスリラー、知らない曲はない程でした。

 中でもシングルカットされていない上記動画、とてもいいバラードです。

 いい時代でしたね。
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