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「表現の自由」を守れ 風刺画のネット投稿相次ぐ フランス風刺週刊誌銃撃事件で



 フランスでテロリストによる最悪な事件が起こった。

 フランスの風刺週刊誌シャルリエブト編集者にテロリストが侵入、12名を射殺するという悲劇だった。

(ライターFT)

風刺画という皮肉


 海外では昔から、風刺画という手法で政治批判や世相批判がなされている。ユニークでブラックテイストのモノが多く、中々面白い。きっと年齢なども関係なく、多くの人に伝わるメッセージ性の高いメディア伝達手法とも言える。

 ただ、宗教差別につながり批判された過激な一部の信者からの怒りも半端ではない。

 風刺画のメッセージ性として結果についてはあまり語られない、例えばイスラムがもたらす宗教の有用性などは風刺画では語られない。受取手にもよるが、ただバカにして笑いを誘うだけになることも多く、批判されている側からすると完全に面白くない。



 人をバカにしたら、バカにされた人から恨みを受けるのは当然のことである。原因は風刺された側にあるとしてもだ。これが今回の単純な原因、攻撃すれば報復があるというのが今回の悲劇に繋がったということである。

 表現の自由、表現を自由にする代わりに命を失ったのでは本末転倒でもある。

 しかし風刺画というのは、その風刺のメッセージは強烈で考えさせられる意味深な場合が多い。描き手の想いも大きいだろう。



 上記風刺画はお金を入れないと看てくれない医者である。

 「困っている病人を助けたい」そんな考えでいる病院や医者は少ない。これが現実という風刺画。医療ってビジネス、病気で死にかかっている人は金さえ払えば生きられるのである。お金はない人は死ぬしかないという風刺。これは強烈なメッセージと言える。

 でも風刺って凄く面白い、そう思います。

日本人が知らない 恐るべき真実

 世界はある一族に支配されている。

 そんな陰謀論は昔から言われている。

 今の日本も例外なくロスチャイルド家に明治維新から支配されているというのは、どこまで本当なのか?

(ライターFT)

世界は支配されている!

 


 中々面白いですね。

 世界はある一族に支配されているという動画です。世界大手の企業の全てはロスチャイルド家が支配しているというのは、あながち嘘ではないだろう。私達、庶民には全て隠され、操作されてきたというお話です。

 ヒトラーでさえも操られていたという可能性、新世界秩序というのが彼らの本当の目的と言われている。この考えがとても恐ろしい。現在の政治、経済状況を見るとそうなりつつあるという。

 世界統一、実はすでに始まっていて経済ではこれをグローバリゼーション等と呼ばれていてこの政策で日本も大変な目にあっている。世界のマスコミを牛耳り、一般人は全て情報操作されている。日本でも政治が言論に対し圧力をかけたりする。

 私達が本当に望んでいる生活はこんな生活ではなく、頑張った人が報われる社会のはずだ。そして社会的弱者も文化的な生活が送れる社会でないとならない。



 共産主義はユダヤ人が作り上げた捏造である。リチャード•コシミズ氏はこのように言っている。 

 リチャード•コシミズ氏は何者かというと、アマチュアジャーナリストとしてウィキペディアに紹介されている。



 これが本当なら‥…



 さて、私達はこの支配から逃れる為にはどうすればよいのか?

 この支配は続くのでしょうか?誰も支配者を止める事が出来ない流れではないでしょうか?水で走る車を開発したスタンリーメイヤーは毒殺されてしまいました。なぜ彼が毒殺されなくてはならなかったのでしょうか?

 スタンリーメイヤー氏が誹謗中傷され、殺されてしまったのは事実、フリーエネルギーを言うとマスコミは全てがそっぽをむいてしまう。

 



 地熱発電を提唱している武藤教授が言っていることが間違いだと批判する人は彼らの仲間なんだろう。武藤教授もまずは命の危険を考えなければいけないだろう。

 さて、このお話、どこまでが真実かは検証していないので分かりません。しかし実際にこうした技術が出てこない現状はなぜなのでしょう?

 またこうした面白いお話はまたいつかしたいと思います。



ブレイク3年!話題の年齢不詳の現役モデル「ヤスミーナ・ロッシ」の美容の秘訣は

 老いるということは人間として完成してゆくということ。でもどうせなら美しく完成したい。

(ライターFT)

人間としての完成系 「老いる」「死」




 誰もが避けられない「老い」と「死」。

 この二つに共通して言える事は「恐怖」ではないでしょうか?誰もが生まれ、青春を謳歌し、子供を育て老いて行く。そして最後は「死」を迎えて人生の幕を閉じる。その先に何かがあるのかは分からないけど、今の所人生の最後は「死」ということになる。不慮の死を遂げないで人生を全うすることが良いのか悪いのかも私には分からない。でも、きっと人生の完成系は「死」なんだろう。そして「死」と同じように避けられない事は「生きる」ということなのでしょう。

 では人生の完成系である「死」、私達にも訪れる死、どうせなら美しく死にたい。どうすれば美しく歳を重ね、美しい死を迎えることが出来るのだろうか。

 美しく死ぬということは、美しく生きるという事ではないのか?

 がむしゃらに生きる事が良いのか、別の方法が良いのかはそれぞれの問題。要は自分が後悔しないように生きるのがベストだろう。こう書いてしまうと、話はここで終わってしまうのでもう少し広げてみたい(笑

 ガンに犯され、科学治療で生きる事を選び病気と闘うというのも、美しいと言える。その反対で生きている内にしておきたかった事をやり遂げ、生きることも美しい。死に正解なんてない。ガンと戦い身も心もボロボロになり死んで行くのも美しい、戦わずに死を受け入れ出来なかったことをやり遂げて満足するのも美しい。もし私がガンになり余命少なくなったら、どちらを選ぶのだろう。全く分からない。

 人はそうした選択に迫られることが人生では多くある。

美しく死ぬということ。

 上記リンクにはキャンディーズのスーちゃんが亡くなった時に流された音声のことを問題提起している。中々深い話である。スーちゃんが活字でなく、なぜ音声(肉声)だったのか?あんなに弱々しいスーちゃんの肉声はあまりにも残酷。でも病気と戦いボロボロになりペインコントロールでモルヒネで朦朧とした意識の中での肉声、死とはこういうものだと強く感じさせてくれた一瞬でもある。私はスーちゃんの肉声を聴き、悲しいと感じたけど、最後まで肉声に拘ったスーちゃんに対し、一種の愛おしさを感じた。死んでしまった後だけど、死なないで欲しいと思った。

 自分から見た「美しい死」なのか他人から見た「美しい死」なのかは永遠のテーマのように思う。

 私にはまだ答えなんてない。

 でもどうせ生きるなら、美しく生きて、美し死にたい。

 私の今は美しはないけれど(笑
 
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