黙祷

阪神淡路大震災から20年 1月17日になぜ行事

 あの悲劇から20年も経つんですね。

 私は友人が西宮に住んでおり、震災直後、連絡がつかずとても心配しました。

 1週間ほどしてようやく電話がつながり、友人は無事で涙が出たのを今でも昨日のように覚えています。

(ライターFT)

黙祷 あれから20年の月日


 20年という月日は、人々の悲しみや苦しみを癒すには十分な時間、そう感じます。

 西宮に住んでいる友人の安否、神戸に住んでいる友人の安否、幸い二人とも無事でしたが、あんな悲劇はもう2度と経験したくありません。

 私の友人は二人とも無事でしたが、この震災で6000人以上の人が、お亡くなりになった事実は忘れることの出来ない悲劇でした。



 朝方の出来事でした。私が西宮を訪れたのは震災後、JRが西宮まで開通した時でした。大阪と神戸を結ぶ幹線道路の国道43号線の上を通る高速道路が倒壊し、甲子園口に降り立ったとき、自衛隊員が徹夜の復旧作業を行っていました。駅から見える景色はまるで現実感がなく白日夢を見ているようでした。



 友人とは電話で連絡をとり、安否確認は出来ていましたが本人の顔を見た瞬間、涙があふれそうになりました。友人の手前、涙はこらえましたが。友人宅は西宮市にある閑静な住宅街にあり、数件先にお風呂屋さんがあったのですが、道路に横倒しにお風呂屋さんが倒壊していたのを今でも鮮明に覚えています。

 幸い、友人宅はダメージは大きかったようですが、倒壊は免れていました。

 駅から友人宅まで徒歩で行く景色も、信じられない景色でした。倒壊しかかった家の玄関には「◯◯公園にいます」などの張り紙、不審者が倒壊した家に入り物色していたりという光景をみました。



 強力な地震でした。

 こんな悲劇は沢山、そう思っていましたが東北ではさらに大きな地震に見舞われてしまいました。

 阪神、淡路大震災、東北大震災、私達はこの二つの災害を経験した人間なんです。

 亡くなった方のご冥福と、災害に負けない気持ちを今日、心に秘めて生きて行きたい、そう思います。

 黙祷
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