鉛色の空の下、福井から私、サカヤンがお送りします。
鉛色通信、略して「鉛通(ナマツウ!)」
先週は柴田勝家公が福井を治めるまでをざくっと
大雑把に書いてみました
今回はサカヤンの独断と偏見による柴田勝家像を
検証していきます。
検証?
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「華」
賤ヶ岳で羽柴秀吉との織田信長の後継者争いという大合戦を
行いながらも世間一般のイメージが脇役に甘んずるのは
柴田勝家という武将に「華」がなかったのであろうか
歴史は勝者が作る
賤ヶ岳の合戦の敗北
北の庄(福井)に退くも攻められ城もろとも爆破し自害した
柴田勝家は敗者となる
その後、満開に「華」を咲かせた豊臣秀吉
それでは、柴田勝家は「華」を咲かせられなかったのかというと
私はそうではないと思う
織田信長にひたすら忠義を尽くし、本能寺の変後
(実は、織田信長、明智光秀もこの福井に所縁のある人物だ)
ひたすら華を満開に咲かせようとした豊臣秀吉に対して
どう華を咲かせたらいいのか分からなかった柴田勝家
この両者の差が本能寺の変後の二人の明暗を分けたに
違いない
卑賤の身から実力によって成り上がった豊臣秀吉
を馬鹿にし嫌っていた柴田勝家
尾張国出身で、出自は不明だが守護斯波氏に連関の一族で織田家の譜代
だったがいつしかその秀吉の輝きに見返されたようだ・・
歴史上では華を咲かせられなかった柴田勝家だが
山花のダイモンソウのように地味な華だが
この福井の地で咲かせていた
その華は今でもなお咲いているのである


福井の中心地の一角ビルの間ここは北の庄城があった場所で
柴田神社が建てられている
次週も続きます
なんやっちゃおえ~~~~~~~!!