昭和の歌姫・弘田三枝子

ずっと書こうと思っていたネタですが先日「たけしの誰でもピカソ」にて
♪待ち遠しいのは 春休み~♪ と歌う弘田三枝子さんを見ていたたらやっと書く気になりました。
 

          
           あだ名はMICO


レナウンジャングル大帝レオの歌なども歌う。
レナウンワンサカ娘64もこの人。


1947年2月5日 生まれ。
とにかくジャズが好きで、学校から帰ってきたらすぐにジャズのレコードを聴きまくっていたそうだ。
8歳からムッシュかまやつの父ジャズミュージシャン、ティーブ・釜萢の下で厳しい修行をしたそうだ。毎回帰りのバスの中で泣いていたエピソードも。


1961年、東芝レコードからレコードデビューした弘田三枝子(愛称MICO)は、当時14才で、日本でのポップスクィーンの地位を確立した。敗戦後の日本で、アメリカンポップスの全盛期を支えた数少ない実力派歌手である。アメリカンポップスでのヒットは数十曲にのぼる。1965年7月には、日本人歌手(アジアの歌手)として初めて、アメリカの「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」に出場した



この歌唱力はすばらしい!


彼女は小学校の2年生当時より、米軍の日本の駐留キャンプでジャズを歌っていた、その実力が評価されてのものである。

ちなみに彼女は3日目のトリでビリー・テイラー・トリオをバックに歌い、前日のトリはカーメン・マクレエ、最終日のトリはキング・フランク・シナトラであった。MICOはこのフェスティバルで非常に重い扱いであったことがわかる。ちなみにこのフェスティバルに主演したミュージッシャンは以下の通り、スタン・ゲッツ、ジョン・コルトレーン、ウェス・モンゴメリー、デューク・エリントン…。当時のトップクラスのジャズ・ミュージッシャンは勢ぞろいであった。
1968年彼女自身初となる、R&Bのライブをアメリカ土産としてサンケイホールにて開く。ジャズ、ポップスに続きR&Bという新たなジャンルをものにし、日本でR&Bというジャンルを始めて定着させた。


                


1969年の「人形の家」で日本レコード大賞の歌唱賞を受賞した。1970年には、「ミコのカロリーBOOK」を出版。当時は、まだこのようなダイエット本が珍しく、150万部を超える大ベストセラーになる。日本で「ダイエット」という言葉を始めて広めた。


              


またダイエット後もヒットをとばし、日本の国民的歌番組である、紅白歌合戦にも7回目の出場している。 ファッションやビューティーにも関心を持ち1970年度の日本ベスト・ドレッサー賞を受賞している。独特のヘアスタイル、衣装、メイクで当時のファッションリーダー的存在であった


                



                   ・・・時が過ぎ・・・・


2006年、ジャマイカでSly & Robbieと初めてのレゲエを吹き込む。昨年は、新曲、「恋のクンビア21」をNY在住のDJ GOMIのリミックスにより、リリース




その歌唱力は健在。 
   ただフェイスリフトをしすぎて口がおおきく開けられないの。





  どんだけメンテナンスしてるんだw




BEFORE                               AFTER            


  60歳過ぎてもパワフルなMICOにリスペクト!


最新動画・先日の「たけしの誰でもピカソ」でのVACATIONとトーク、人形の家




20歳を過ぎた娘さんがいるそうですが、デビューしているのか?
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