アフロドラムとハーレム事情

『ハーレム』と聞いたら何を想像する?

女性に囲まれてとろける顔をしている男性?(このハーレムの英語のつづりはHarem) それともヒップホップファッションに身をつつんだ若者たちの街?(このハーレムの英語のつづりはHarlem)

黒人の都、ニューヨークのハーレムは人情あふれる面白い街。

3回目の今回は、公園内で演奏されているアフロドラムについてです。
(ライター:ナカムラアキツ)



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夏になると、どこからともなくわらわらと、ぼうふらのように沸いて出てくるアフロドラムを叩くミュージシャンたち。

彼らは毎週土曜日の午後2時くらいから、ハーレムの中心地にあるマーカス・ガーベイ公園(1972年に改名。それまではマウント・モリス公園)に集まって、暗くなる9時すぎぐらいまで、ドコドコとアフロのリズムを刻む。気分が乗っているときは、公園が閉まる夜10時くらいまで演奏していることもある。



あたしが初めて彼らの演奏を聴いたのは、その公園の近所に住んでいた友だちの家を訪ねた時だったか、たまたま土曜日にその公園を横切ったのか、どちらかだった。

ハーレムは黒人の都として世界的に有名だけど、あたし個人の感想としては、なんというのか土着的な部分が足りないんじゃないのか、なんて思っていた。ハーレムの街は妙に洗練されているというのか、アフリカから起こった文化とのつながりが希薄というのか、そんな感じ。

21世紀だから当たり前といえばそうなのかもしれないけれど、なんか納得できない。

そんな中、このアフロドラムは、まさにあたしが追い求めていた土着的部分で、砂漠の中に見つけたオアシスよろしく、一気にあたしの身体を潤わせてくれた。「そうでなくっちゃ」と頼もしいなあ、なんて一人でにやにやしながら聞いていたのだ。

そのうち彼らをスケッチするようになって、彼らとの交流が始まった。
って、目が合ったら手を挙げて無言で挨拶ぐらいの交流だったけれど(笑)。

多くの人は描いた絵を見せて欲しいといい、見せるとなぜか満足してまた演奏に戻ったり。

でもこの人たち、有志で集まっているので誰がボスとかとくに決まっていない。勝手にその時、集まってくるだけ。でも不思議なもので、よく観察していると、毎年毎年微妙に演奏している人が変わっている。

去年いたのに今年はいない(それもがんがん仕切っている感じの人)とか、微妙にやり方が気にいらなくって、新たに団体を旗揚げ(?)するとか、2年くらい参加していなくってひょっこり帰ってきた人とか、一回みただけじゃわからないドラマがたくさん隠れている。


お気に入りだったフルート吹きのおじさん。
とっても上手だった。最初の年しか見たことがない。
でもその年の冬、タイムズ・スクエアーの駅で演奏しているのを見た。




そういえば、こうやって白人のお兄さんも参加しているときもあったのだ。



つけたあだ名は「先生」。
アフロドラムのクラスを持っているとのことだったので。
気にいらなくって旗揚げしたのも、この「先生」。
ドラムだけでなく、アフロダンスも上手だった。
結局習わなかったけれど、今はどうしているのかなあ。


それなのに聞いている常連って、ほとんど同じ。

ところが不思議なことに、白人が増えたと言われているハーレムでも(実際にあたしが住みだした2001年と比べてここ数年、白人の数は目に見えて増えている)、あまり熱心に聞いている白人っていない。

10年ほど前に一人で中南米を旅行していたときは、ドラムに狂っていた白人をたくさん見たのにね、種類が違うのかしらん。

ところでその新たな住人と、この音楽家たちの間でちょっとしたバトルが繰り広げられているようだ。

そういえば去年のある土曜日、ドラムの音がまったく聞こえないときがあったっけ。それも二週続けて。
あわてて公園に行ってみると、先週までいたドラマーたち誰一人としていない。

そして、そのドラムの音とともに、手作りのアクセサリーを売っていたアフリカ人のおばちゃんやら、レモネードを売っていた黒人の若者、フェイスペイントをやっていたドレッドロックのおっちゃんも、いなかった。

都市開発に伴い、2001年からハーレムの125丁目を中心に高級コンドミニアムが建てられ始めた。その一つに公園の前にも1億円くらいする高級コンドミニアムが建っている。どうやらそこの住人が「うるさいからどうにかしてくれ」と訴えたらしい。



公園の近所に住んでいるあたしとしては、確かにドラムの音は「うるさい」。

テレビを見ていても音量あげないと聞こえないし、電話だって話すの大変。トイレとかに行って避難しないといけない。もちろん好きな音楽なんて聴けるとおもっちゃーいけない。

でもスケッチをしていたから、特に気にはならなかった。
それに偏見かもしれないけれど、ブラック・コミュニティー内では音楽があふれ出ていなくっちゃね。いつでもどこでも音楽が聞こえてきてこそ、ブラック・コミュニティーなのだ。

が、子どもが生まれたらそうは問屋が卸さない(笑)。
毎日午後8時過ぎにベッドに寝かしつけるようにしているんだけれど、ドラムが鳴っていると、実際問題なかなか寝かしつけることができないのだ。

黒人とのハーフの息子は音楽が好きで、彼らの前に連れて行くと雄叫びをあげながら、自己流で踊ったりする。なので息子の「ルーツ」の一つでもあるアフリカンドラムはあって欲しいけれど、でも……と複雑なのだよ、おかんとしては。

このドラム行事は1969年から始まっているらしく、ハーレム生まれ育ちの旦那に言わせると、80年代は生け贄でグロい方面で有名になっているヴードゥー儀式なども行われていたらしい。

えーってことは、公園内で動物か何かの心臓とか持って、どこどこドラムで高揚した人たちがトランスして奇声を上げていたりしていたのだろうか(かなり偏見が入っていますね(笑))。うーむ、実に見てみたかった。

話を元に戻して、去年二週間聞こえなかったドラムがまた公園に戻ってきたとき、アフリカンな衣装を着こんだ女性に聞いてみた。どうしたのかと。

「公園から出て行けって言われてね。でも、これ(アフロドラムをたたくということ)は文化的にもとても重要なことだから、あたしが公園に彼らを戻したのよ」

じゃあ、あなたがこのミュージシャンたちを取り仕切っているオーガナイザーなの? と聞いてみたら、そう、とのお答え。そんな彼女は今年はいない(苦笑)。本当に、どこへ行ってしまったんだろうか。



今までミュージシャンたちは124丁目沿いにあるベンチに座って、ドラムをたたいていた。


こんな感じで、ベンチに座ってやっていたのが去年までのこと。


ところが今年は去年までバーベキューエリアだったところに『ドラマーズエリア』なるものが出現した。


去年までは「BBQエリア」と書かれていた看板だったのにね。


周りは岩で囲まれているし、ちょっと公園内部に入ったので、今までみたいにドラムの音が直接的には響いてこない。きっと話し合いの結果、こういうことになったんだろう。


今年はこのように岩に囲まれている場所を確保されました。



踊る人、もちろんいます。
これがまたうまくってね、すごいね、あのリズム感。まねできんわ。



岩の上から見ると、こんな感じ。
まだ早い時間(って、7時くらいだったけれど)なので、まだ人がいない。
クライマックスに向かって、どんどん人が増えていく。


これで「いったいいつになったらドラムは終わるんじゃー」というストレスから解放されたし、彼らドラマーにしても、今後はありがた迷惑な苦情を言われることもなく、双方にとっていいことなんじゃないかと思う。



今回のようなことは、ハーレムに白人が移り住んでこなければ起きなかったことかもしれない。

でも時間は確実に流れ、その流れには誰も反対することは(きっと)できないんだと思う。

そして「ハーレム」が「ハーレム」でなくなる日がやってくる、ということなのかは、わからない。でも、最近の、ものすごい勢いの再開発を見ていると、そうなのかなと、ふと、思わずにもいられない。


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次回は「中南米のジェーラート【エラド】」についてです。
お楽しみ!

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